M女の隠れ家                                          <コラム−16>


「S性やM性は才能」

※このコラムは、以前、日記に書いたものからの抜粋です。

人にはそれぞれ持って生まれたいろんな才能があり、そして相性というものがあります。
学校の先生は誰でもが努力すればまるで何でも成し遂げられるかのように教えていますけど、実際にはこの「才能」と「相性(適性とも言えます。)」という大きな壁があります。
努力してもどうにもならないという問題があるのです。

学校の先生や親は子供に努力するように仕向けるのが仕事ですから、そういうウソを言うのは止むを得ないことですけど、いずれ誰もがサンタクロースはいないということを知るように、努力してもどうにもならない問題があると知るのです。
この「才能」と「相性」という壁の存在に気づいた時、それを持ち得なかった者にとっては、とても深い挫折感を味わうこととなります。
それでもその挫折から立ち上がり、自分にできることは何かを求めて歩き始めるしかないのです。
大体、青春期に一度はそういう挫折感を味わう人が多いと思います。



SMにおいても、S性やM性は才能であり、S男性とM女性の相性というものがあります。
いくら好きな人でも、その人がS性を持っていなければ、どんなに努力してもあなたのM性を満足させてくれることはできないものです。
またたとえS性を持っている人であっても、あなたのM性と相性が合わなければ、これもまたどうすることもできません。
これらは努力すればどうにかなるというものではありませんから、いくら望んでも無理なことなのです。
あきらめるしかありません。

一方で、その才能を持っている人には、何も努力もしていないのに瞬時にそれを理解して、できるようになるものなのです。
僕はどういう訳かS性を持って生まれましたので、SMについては自然にいつの間にかそれを理解できました。
何も努力した記憶はありません。

例えば、腕のいいカメラマンがきれいなモデルさんを使って撮っているSM写真集が販売されています。
でも、それを見ると、S性を持っていないカメラマンでは、どんなに素晴らしい写真であっても、それはSM写真ではないのです。
そしてモデルさんもどんなに美人であっても、M性を持ってないモデルさんでは、その人からは何も感じられません。
カメラマンの腕もモデルさんの美しさも、ある種の「才能」ですが、それはSMの才能ではないのです。

僕にはそういうことが、それを見ただけで瞬時に理解できます。
そんなSM写真集を昔、間違って買ったことがありましたけど、何の価値もないものだと感じました。
S性やM性を持っていなければ、どんなに腕が良くてもどんなに美人であってもどうすることもできない問題なのです。

ここに冷徹な現実の壁が存在します。

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